なぜ今、解散なのか――「大義」が見えない時代に、私たちは何を信じればいいのか
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政治/民主主義/時事考察/日本社会
はじめに:昨日の発表が投げかけた、静かな違和感
昨日、衆議院選挙の解散が正式に発表され、日本の政治は再び「選挙モード」へと突入しました。ニュース速報として見れば、それは決して珍しい光景ではありません。日本の政治史を振り返れば、解散総選挙は何度も繰り返されてきました。
しかし、今回の解散には、どうしても拭えない違和感があります。
「なぜ今なのか?」
「本当の大義は何なのか?」
私は、高市早苗を中心とした高市政権にも、**日本維新の会**にも、一定の信頼を置いています。政策志向や改革姿勢、既存政治への挑戦という点では、評価すべき部分も多い。
それでもなお、今回の
- 衆議院解散
- 大阪府知事・大阪市長の選び直し
この二つが**「今、同時に必要なのか」**と問われると、正直に言って、明確な答えが見えてきません。
本記事では、この「わからなさ」を起点に、解散の意味、大義とは何か、そして私たち有権者が今考えるべきことを、できる限り丁寧に掘り下げていきます。
第1章:そもそも「解散」とは誰のための制度なのか
解散は「国民の信」を問う仕組み…のはずだった
日本国憲法において、衆議院解散は内閣の重要な権限です。本来その趣旨は、
- 国政の方向性について
- 国民に直接判断を仰ぐ
- 政権の正当性を再確認する
という、極めて民主的なプロセスのはずでした。
しかし現実には、解散はしばしば次のように使われてきました。
- 支持率がまだ高いうちに
- 野党の準備が整う前に
- 不利な政策判断を先送りするために
つまり、「国民のため」よりも「政権運営の都合」が前面に出てしまうケースです。
今回の解散も、残念ながら多くの国民にとって
「説明不足」
「唐突」
と映っているのではないでしょうか。
第2章:「大義なき解散」が繰り返される理由
大義が語られなくなった日本政治
かつては、解散には象徴的なテーマがありました。
- 郵政民営化
- 消費税
- 構造改革
賛否は別として、「何を問う選挙なのか」は比較的明確でした。
ところが近年、解散理由は次第に抽象化し、
- 「政治を前に進めるため」
- 「信を問うため」
- 「停滞を打破するため」
といった、誰も反対できないが、誰も納得しきれない言葉に置き換わっています。
今回も同様です。
国民の多くが抱いているのは、
「で、結局何を判断すればいいの?」
という素朴な疑問でしょう。
第3章:それでも高市政権を一定評価する理由
ここで誤解してほしくないのは、私は高市政権そのものを否定したいわけではない、という点です。
高市政権に感じる「芯の強さ」
高市早苗氏の政治姿勢には、
- 国家観が明確
- 安全保障への一貫した考え
- 言葉を濁さない姿勢
といった、近年の政治家には珍しい**「覚悟」**が感じられます。
だからこそ、今回の解散についても、
「何か明確な狙いがあるはずだ」
と期待してしまうのです。
しかし、その期待に対する説明が、まだ国民に十分届いていない。
ここに、支持と疑問が同時に存在する矛盾があります。
第4章:維新の会と大阪政治――改革の象徴が抱えるジレンマ
なぜ大阪で「選び直し」なのか
日本維新の会は、大阪を拠点に
- 行政改革
- 財政の透明化
- 既得権益への挑戦
を掲げ、一定の成果を出してきました。
それは事実です。
だからこそ、
「なぜ今、大阪府知事や大阪市長を選び直す必要があるのか?」
という疑問が生まれます。
改革の途中であればこそ、
継続性が重要なのではないか。
任期途中での再選挙は、改革のスピードを落とすリスクもあります。
第5章:「信頼しているからこそ、わからない」という感情
今回の解散がややこしいのは、
- 強く反対しているわけではない
- むしろ一定の信頼はある
- しかし腑に落ちない
という、グラデーションのある感情を多くの人が抱いている点です。
これは、日本の民主主義が成熟してきた証拠とも言えます。
盲目的に支持するのでもなく、
感情的に否定するのでもなく、
「理由を知りたい」と思う。
この姿勢こそ、本来の主権者の姿ではないでしょうか。
第6章:私たちは何を基準に投票すべきか
「大義がわからない」と感じるとき、
私たちができることは限られています。
だからこそ、以下の視点が重要になります。
- 誰が一貫した説明をしているか
- 誰が不都合なことから逃げていないか
- 誰が短期ではなく長期を語っているか
解散の理由そのものよりも、
解散後に何を語るか
選挙期間中に何を語るか
そこに、政治家の本質が表れます。
おわりに:わからなさを、思考停止にしないために
今回の衆議院解散、そして大阪の選び直し。
正直に言えば、今もなお「明確な大義」は見えていません。
しかし、だからといって無関心になることが、最も危険です。
わからないからこそ考える。
納得できないからこそ問い続ける。
その積み重ねが、
「説明しなければならない政治」
をつくっていくのだと思います。
信頼しているからこそ、疑問を持つ。
それは裏切りではなく、民主主義への誠実さです。
