UnsplashのAya Salmanが撮影した写真
文系学科がイノベーション・マネジメントを語ることの限界を感じる。
社会人大学院(経営管理研究科)で学習をしているが、文系学科がイノベーション・マネジメントを語ることの限界を感じる。
今の時代は、テクノロジーの時代である。技術進展が著しい。そういった中、経営管理研究科がイノベーションを語ることの限界を感じている。
最近のイノベーションは、技術に裏付けられたイノベーションである。
経営管理研究科の行っているイノベーションの分析は、既に起こったイノベーションを経済学的に、或いは、経営学的にどう分類するのか、どう解釈をするのかに終始している気がする。
正直言って、文系学科が歴史として、イノベーションを語っているという気がして仕方が無い。ここから、新しいイノベーションが生まれるとは、とても考えられない。
経営管理研究科で、イノベーションを学んでいると歴史の勉強かと勘違いをしてしまうことがある。あくまでも、経営管理学的に何処に位置付け、どう解釈するかに終始しており、この議論の中から、新しいイノベーションが生まれるとは、どうしても思えない。だとすると、一体、何のための学問であるのか?
学問のための学問が発生している気がする。もう既に起きたイノベーションから、新しいイノベーションを生み出すためには、どうすれば良いのかを学びたい。
歴史を学んで、過去に遡って、分類してて、学問のための学問のような気がしてならない。
学問は、本来未来を語ることが出来ない。学問が語るのは、過去である。
ビジネススクールは、次世代のビジネスリーダを生むための学問であるべきだと感じている。
アカデミアの限界を感じる。
ビジネスリーダにとって、どの論文でどのような分類が提起されたのかなど、どうでも良いのではないか。
これがMBAなのか。これで本当に新しいビジネスが生まれるのだろうか。
産創館で学んでいる時の方が、ビジネスに近かったし、新しいものを生み出す可能性があった。
今は、アカデミックな取り組みが、苦行のように感じられ、ずっと写経をしている感覚である。(宗教的位置付けとしての写経の存在は認めているが、学術的な写経の意味を見いだせない。)
ビジネススクールとして、あまりにもカリキュラムが未熟な感じがする。完成度が低い。
研究者になるのであれば、実務家としてイノベーションを起こしたり、社会に出た後に研究者になるべきだと感じてしまう。
アカデミアも学生も、井の中の蛙大海を知らずである。
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