――それでも会社を興した「俺」は、何をやりたかったのか
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――それでも会社を興した「俺」は、何をやりたかったのか
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起業 / 内省 / 人生 / 仕事観 / メンタル / 思考の記録
はじめに|不安は、静かに、しかし確実に積もっていく
見通しがない。
この言葉ほど、今の心境を正確に表す言葉はないかもしれない。
何か大きな失敗をしたわけじゃない。
明確な破綻が起きたわけでもない。
それなのに、常に漠然とした不安に囲まれている。
朝起きて、仕事を始め、タスクをこなし、誰かと話し、夜になって一人になると、
ふと心の奥から問いが浮かび上がってくる。
「一体、俺は何をやりたくて会社を興したんだろう」
この問いは、声を荒げることはない。
ただ、逃げ場のない静けさの中で、ずっとそこに居座り続ける。
会社を興すという選択は、自由だったはずなのに
会社を作る。
それは「縛られない選択」だったはずだ。
・時間の自由
・裁量の自由
・意思決定の自由
・生き方の自由
少なくとも、あの頃の自分はそう信じていた。
誰かに決められた人生じゃなく、
自分で決める人生を生きたかった。
上司の顔色を伺わず、
組織の論理に飲み込まれず、
「自分の価値」を信じて勝負したかった。
そのはずなのに。
今、手にしているのは
「自由」よりも
「不確実性」と
「終わりの見えない責任」だ。
不安の正体は「失敗」ではない
多くの人は、不安=失敗への恐怖だと思っている。
でも、起業して一定期間が経った人間が抱える不安は、少し違う。
それは、
- 何が正解なのか分からない不安
- 今やっていることが“正しい努力”なのか分からない不安
- 間違っていないはずなのに、手応えがない不安
つまり、**「方向感覚の喪失」**だ。
地図がないわけじゃない。
ただ、その地図が本当に今いる場所と合っているのか、分からない。
「目的」は、最初から明確だったのか?
思い返してみる。
会社を興した瞬間、
本当に「やりたいこと」は明確だったのだろうか。
・独立したかった
・会社を辞めたかった
・自由になりたかった
それらは動機であって、
目的ではなかったのかもしれない。
起業という行為は、
「何かを成し遂げたい人」だけでなく、
「今の場所から逃れたい人」にも門戸を開いている。
そして、逃げるように飛び出した場合、
後から必ずこの問いに直面する。
「で、俺は何をしたかったんだ?」
成果が出ない時、人は「意味」を探し始める
数字が伸びている時は、不安はかき消される。
忙しさが、問いを遠ざけてくれる。
だが、
成長が鈍化し、
結果が見えなくなり、
誰からも評価されない時間が続くと、
人は「意味」を探し始める。
・この仕事に意味はあるのか
・自分がやる必要はあるのか
・他の誰かでもよかったんじゃないか
これは弱さではない。
真剣に生きている証拠だ。
漠然とした不安は、「立ち止まれ」というサイン
不安を敵だと思ってはいけない。
不安は、壊すために現れるのではない。
「考え直せ」
「問い直せ」
「軌道修正しろ」
そう伝えるために、
静かに、しかし執拗に現れる。
もし不安がなければ、
人は間違った方向に進み続けてしまう。
起業とは「答えを出す旅」ではなく「問いと生きる旅」
会社を興した瞬間、
人生の問いは終わるどころか、増える。
・俺は何者なのか
・何に価値を感じるのか
・どこまで耐えられるのか
・何を捨てられるのか
起業は、
自分という人間を、徹底的に暴く行為だ。
だから苦しい。
だから不安になる。
だから孤独になる。
でも、それは間違っていない。
「見通しがない」状態は、実はスタート地点かもしれない
皮肉なことに、
見通しが立たなくなった時、
人は初めて「本音」に近づく。
成功したいからやっているのか。
認められたいからやっているのか。
恐怖から逃げたいだけなのか。
あるいは――
それでもやりたい何かが、確かにあるのか。
この問いに向き合わずに進めば、
仮に成功しても、空虚さは消えない。
それでも、会社を興した「俺」を否定しなくていい
今の自分が迷っているからといって、
あの時の自分が間違っていたわけじゃない。
あの時の自分は、
あの時なりに必死だった。
勇気を出して、一歩踏み出した。
それだけで、十分に価値がある。
おわりに|答えは「思い出す」ものではなく「更新する」もの
「何をやりたかったのか」という問いに、
過去の記憶から答えを探そうとすると、苦しくなる。
答えは、
今この瞬間から、更新していい。
・今、何に違和感を覚えているか
・今、何に怒りを感じるか
・今、何を守りたいか
それが、
次の一歩のヒントになる。
見通しがない今は、
終わりではない。
再定義の入り口だ。

