戎さんに行けなかった日、それでも商売繁盛を願っていいじゃないか
――成果ゼロの日に見えた「続けること」の価値
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日常/大阪文化/商売繁盛/ゆる哲学/暮らしと気づき
はじめに:行こうと思った、その気持ちは本物だった
今年もこの季節がやってきた。
「戎(えびす)さんに行かなあかんなぁ」。
大阪で商いをする人間、いや、商いをしていなくても“何かを続けている人”にとって、年明けの戎さんは一種の区切りであり、儀式であり、自分自身への確認作業でもある。
けれど今年は、うまくいかなかった。
犬はなぜか怒るし、
予定は崩れるし、
思ったような“成果”もなかった。
結果として、戎さんには行けず、
「とりあえず昨年の笹、そのまま使ってもええんかな?」
そんな、ちょっと弱気で、でも正直な気持ちが心に浮かんだ。
結論から言おう:それで、いい。全然いい。
まず最初に、はっきり言っておきたい。
👉 昨年の笹をそのまま使っても、全く問題ない。
👉 行けなかった自分を責める必要は、1ミリもない。
むしろ大切なのは、
「行こうと思った」という事実と、
「気にしている」という心の向きだ。
戎さんとは何か?――大阪人にとっての意味
大阪で「戎さん」といえば、多くの人が思い浮かべるのが
今宮戎神社 だろう。
毎年1月9日〜11日の十日戎。
「商売繁盛で笹持ってこい!」
この威勢のいい掛け声に、どれだけの人が背中を押されてきたことか。
戎さんは“お願い”の場ではない
実は、戎さんは
「お願いを叶えてもらう場所」
というより、
「今年もやりますで」という宣言の場
なんだと思っている。
行けなかった理由:犬が怒った日常も、立派な現実
今年は犬が怒った。
理由は分からない。
でも、そんな日もある。
予定通りに動けない日、
思うように進まない日、
「今日は違うな」と感じる日。
それを無理やり押し切って行くことが、
本当に“縁起がいい”のか?
答えは、人それぞれだが、
私はこう思う。
👉 日常を壊してまで行く必要はない。
「成果がなかった」という感覚の正体
ここで出てくるのが、もう一つの本音。
「成果もなかったし…」
この一言、実はめちゃくちゃ重い。
成果って、なんやろう?
・売上?
・契約?
・数字?
・評価?
でも、年明け早々、
“目に見える成果”なんて、
そうそう出るもんじゃない。
それでも私たちは、
「何か得られなかった自分」を
つい責めてしまう。
昨年の笹を使う=手抜き、ではない
ここが一番言いたいところ。
昨年の笹を使うことは、
妥協でも、怠慢でも、ズルでもない。
それはむしろ、
- 去年も続けてきた証
- 積み重ねを認める行為
- 「また一年やる」という静かな決意
なんじゃないだろうか。
笹より大事なものは、毎日の姿勢
正直に言う。
笹は象徴でしかない。
御守りも、熊手も、全部そう。
本当に大事なのは、
- 今日も投げ出さなかったか
- 小さくても前に進んだか
- 自分を雑に扱っていないか
その積み重ねだ。
「行けなかった年」は、意外と記憶に残る
不思議なもので、
- ちゃんと行けた年
- 何事もなく終わった年
よりも、
- 行けなかった年
- 予定が狂った年
- ちょっと悔しかった年
の方が、後から思い出す。
そして振り返ったとき、
「あの年があったから今がある」
そう思える瞬間が、必ず来る。
商売繁盛とは「生き残ること」
派手な成功じゃなくていい。
爆発的な成果じゃなくていい。
- 続ける
- 折れない
- やめない
それだけで、
もう十分“商売繁盛”だ。
今日のまとめ:自分にOKを出そう
✔ 戎さんに行けなかった
✔ 犬が怒った
✔ 成果が見えなかった
✔ 昨年の笹を使うことに迷った
それでも――
👉 今年をちゃんと生きようとしている。
👉 それだけで、もう縁起はいい。
最後にひとこと
もし、来年行けたら、
そのときに笑ってこう言えばいい。
「あの年、行かれへんかったなぁ。でも続いてるなぁ」
それが一番、えべっさんも喜ぶんちゃうかな。
