MBA修論に全てを捧げた1年の末路

転職か、起業か


MBA修論に全てを捧げた1年の末路

私は昨年、大きな決断をした。MBAの修士論文(修論)を書くために会社を辞めた。修論に全力を注ぎ、徹底的に研究を進めた。しかし、最終的な評価は厳しく、今になって振り返ると、自分の選択が本当に正しかったのか疑問が残る。

もし会社に残り、4月まで仕事を続けていれば、専門教育訓練給付金を受け取ることができた。そのまま給与を得ながら起業の準備を進める選択肢もあったのに、私はすべてを捨てて修論に集中した。その結果、今後の数千万円の収入を諦めることになり、それにもかかわらず成果はほぼ何も得られなかった。この憤りをどこにぶつければいいのか分からない。

研究の価値とは何なのか?

ゼミの教授には失望した。彼女は自慢話と人の悪口ばかりを繰り返し、研究指導とは程遠い態度だった。Facebookでもネガティブ投稿ばかりで、学問的な刺激や指導の価値を一切感じることができなかった。どうしてこのような人物に博士号を与え、教授の地位を与えたのか理解に苦しむ。誰が博士号を与えて、誰が今の学校に引っ張ってきたのか。その責任は重大だ。

FaceBookはネガティブが見えないように、閲覧回避の設定をした。ネガティブ発言が、周囲のモチベーションを落としていることをわかっているのだろうか?まして、他の大学教授間の悪口を学生に宣伝する教授って初めて見た。女性だからではなく、人間として浅ましさを感じた。教授同士の好き嫌いを知って、学生に何のメリットがあるのか?

結局、私はこの1年を無駄に過ごしたのではないか。MBAの修論とは何だったのか。研究成果に意味はあるのか。ビジネスの実務と接点のない歴史研究を隙間を狙って書くことが、経営管理学部の教授の仕事なのか?経営学としての価値を見出せないまま、形式ばかりの文系論文に振り回され、貴重な時間を浪費してしまった。例えば、「理系の管理者を増やした方が、業績があがる」という論文を書いて、一体何の意味があるのか。私にはわからない。

結局、他の教授の悪口だけ、いっぱい聞かされてげっそりだ。本を出版したらしいが、友人が賞を取り、自分が外れたので、悔しいから、もう一度本(紙のゴミ)を買くそうだ。本当に友人なのかは疑問。友人なら普通祝福するでしょ?

本来目指していた起業の準備

私はこの1年で起業の準備を進める予定だった。市場調査、ビジネスモデルの構築、資金計画の策定——これらに時間を費やし、実際にビジネスを始める準備を整えたかった。しかし、修論の執筆に追われ、本来進むべき道から逸れてしまった。

この経験から、私は学びを得た。学問は重要だが、実務と結びつかなければ意味がない。特にMBAのような実務家向けの学問において、実際のビジネスに役立たない論文を書かせることにどれほどの意義があるのか、改めて疑問を持った。修論にかけた時間とエネルギーをもっと実践的な活動に使うべきだった。

今後の方針

これからは自分の直感を信じ、実際のビジネスに役立つ活動に集中する。修論に囚われることなく、起業に向けた準備を再開し、自らの道を切り開いていく。そして、もし今後、学問と実務の狭間で迷う人がいれば、私の経験を共有し、実践的な選択肢を取るようにアドバイスしたい。

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