恩師が退官するということ──心理を学ぶ者として、ひとりの人間として、いま溢れる残念な気持ちを言葉にする
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【本文】
■ はじめに:退官講演会の日、胸を満たした言葉にできない“残念さ”
長く心理の道を歩んできた私には、心の中にずっと灯り続けていた存在がいる。
それが、今回退官された「先生」だ。
講演会の日。
会場に足を踏み入れた瞬間、その空気の重みと温度に胸が熱くなった。
けれど同時に、どうしようもない感情がゆっくりと胸の奥を満たしていった。
それは、
「残念でいっぱい」
という言葉が一番近かった。
悲しみとも違う。
悔しさとも違う。
ただ、まだ終わってほしくない。
もっと聞いていたかった。
もっとそばで学んでいたかった──そんな感情が押し寄せてきた。
■ 心理の先生は、“教える人”以上の存在だった
心理学の世界では、知識以上に“姿勢”が問われる。
人の話をどう聴くのか。
どこに目を向けるのか。
何を大切にして生きるのか。
その全部を、私は先生から教わった。
先生は「正解」を教えない人だった。
その代わりに、深く考えるための“問い”だけを置いていく。
その問いの数々が、長い年月をかけて私の中の価値観を形成していった。
だからこそ、退官という事実を前にすると、
心が大きく揺さぶられるのだ。
■ 退官講演会で感じた“一区切り”の重さ
講演会で語られた言葉は、どれも先生らしく、温かく、誠実で、深かった。
会場は笑いに包まれ、時には静まり返り、時には大きな拍手が湧き起こった。
でも、私の心には別の声も響いていた。
「ああ、本当に終わってしまうんだ」
節目というのは、本人がどれだけ平静に語っても、周りの人間には“時代が終わる瞬間”として響く。
先生の人生の一区切りを見届けているようであり、
同時に、自分自身の過去の時間とも向き合わされるようだった。
■ なぜこんなにも残念なのか──心理学的に探ってみる
自分の感情を分析するのは不思議なものだ。
専門家であっても、“自分の喪失”にはきちんと揺さぶられる。
それが人間らしいところでもある。
● 1.「内的指導者」を失う感覚
心理学では、恩師はある時点から「内なる先生」に変わると言われる。
ただ、その“役割の移行”は嬉しいばかりではない。
外側の先生が離れる瞬間、私たちはひとつの支えを見送らなければいけない。
● 2. 過去への感謝と現在の喪失が交差する
先生から得た学びは揺るぎない。
しかし「もう会えなくなるかもしれない」という現実は、強い喪失感を呼び起こす。
● 3. 自分自身の成長責任を受け取る時期
恩師の退官は、自分が次の世代に何を渡すのかを問われるタイミングでもある。
その“引き継ぎ”の重さが、胸のざわめきとして表れる。
■ 先生の存在は消えない。むしろ、これから強くなる
講演会が終わった後も、会場の空気はしばらく揺れていた。
人々が別れを惜しみ、ことばにならない思いを抱えたまま出口へ向かう姿を見て、私は思った。
「先生は、これからもずっと私の中で生きていくのだ」
先生の声は私の中に残っている。
問いが残っている。
たくさんのまなざしが残っている。
退官によって距離は変わっても、
内なる先生は消えるどころか、はっきりと形を持ちはじめる。
■ 残念でいっぱいな今の自分を、受け入れてみる
私はいま、正直に言って、まだ気持ちが整理できていない。
寂しいし、惜しいし、まだ聴きたい話がたくさんあった。
でも、この“整理できない感情”こそが、
人間の豊かさであり、心理の学びそのものなのだ。
喪失に向き合うとき、私たちは必ず揺らぐ。
その揺らぎを嫌わず、ただそばに置いておくことが、
感情と共に生きるということなのだと思う。
■ 最後に──先生へ
先生の退官は、終わりではなく、
私の中での新しい始まりなのだと思う。
先生が灯した火は、これからも私の仕事や生き方を照らし続ける。
そしていつか、私も誰かにとっての“先生”になる日が来るだろう。
今日感じた残念さも寂しさも、
すべて大切に抱えながら、私はまた前に進んでいきたい。
先生、本当にありがとうございました。
講演会の日に胸に溢れたこの気持ちを、私はずっと忘れません。
