技術経営、競争戦略のレポートであっぷあっぷ。結構な苦行である。ChatGPTよ、力を貸してくれ。
私には両方の授業は、1個にまとめるべきだと考えている。分けることに一体何の意味があるのか、私には意味不明である。全く同じ講義のような気がする。
技術経営が3人で9000字、競争経営が1人で5000字が提出レポートの最低ラインである。
社会人大学院では、ChatGPTはが禁止されている。
理由は学生の勉強にならないからである。だが、私は、大学は特にChatGPTを積極活用すべきであると考えている。アカデミアがChatGPTに知識レベルで叶わなければ、もはや意味がない。ChatGPTを超えた知の存在を目指すべきである。
一方、学生側はChatGPTはツールとして、使用できなければならない。調べ物をするときに、もはやインターネットを使用しない奴はいないであろう。インターネットで検索もしないで、結果を出す人間はいないだろう。要は、ツールとして使用し、まだ未成熟な部分は人間が代用すればよいと考えている。
なぜ、こういう学校はChatGPTを嫌がるのか。はっきり言って、レポートの質の評価が出来なくなるからである。
大学院では、左の物を右に移すような苦行がまだ多く存在している。社会に出たことが無いアカデミアはやりがちである。
あくまでも良いものを作成するためにツールを使用すべきで、逆にアカデミアは、必要であれば、ツールを評価するときにChatGPTを使用すべきである。
良い学習を使用とすると、レポートの無駄な作業は排除すべきである。ChatGPTを使用すればよい。人間の知的レベルがChatGPT以上であるとするならば、その部分で評価をすべきである。
人類は進歩をしていかなければならない。使用できるツールを排除すべきではないと私は思う。ChatGPTが作成したものの先にアカデミアが求めるものが無ければならない。
単なるツールの使用を嫌がって、何の意味があるのか。
私も大学の講義のレポートを評価していた時代がある。皆が、インターネットから索引し、レポートを提出していた。それを評価するのには、骨が折れた。私は一時的であったから、インターネットを単純にコピーペイストしたレポートを見抜けなかったのである。アカデミアはそういう訳にはいかない。理由は専門家であるからである。
もはやそんな時代は過ぎ去ったと思うのだが。
ChatGPTが仕事に活用される時代はそんなに遠くないと考えている。その時は、人間が淘汰されるので、苦しさはあるが。使用しないで、先には進めない。
沖縄最大級のアクティビティ予約サイト【沖縄トリップ】 <