ミラノ・コルティナの舞台に立つということ
――見えない苦労の先にある、たった一瞬の輝き
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はじめに:テレビ越しに伝わってきた「重さ」
ミラノ・コルティナオリンピックを見ていて、ふと胸に迫ってきた感情がある。
それは、メダルの色でも、記録の更新でもない。
「この選手たちは、ここに立つまでに、どれほどの苦労をしてきたのだろう」
そんな思いだった。
華やかな開会式、整えられたリンクやゲレンデ、世界中から集まる観客。
しかし、その裏側には、決してテレビには映らない、長く、孤独で、経済的にも精神的にも過酷な道のりがある。
ミラノ・コルティナオリンピックという「到達点」
オリンピックは、すべてのアスリートにとってゴールであり、同時に通過点でもある。
だが、そこに至るまでの道は、決して平等ではない。
特に冬季競技は、
- 競技人口が少ない
- 専用施設が限られている
- 用具代が高額
- 海外遠征がほぼ必須
という、**「お金がかかる競技」の代表格だ。
セクション1:スポンサー探しから始まる競技人生
多くの人は、オリンピック選手=恵まれた環境、と思いがちだ。
しかし現実は、その逆であることも多い。
■ スポンサーは「最初からいる」わけではない
無名の選手にとって、
- 企業にメールを送る
- プレゼン資料を自作する
- 実績がない中で自分を売り込む
これは、競技とは別の、もう一つの戦いだ。
断られることの方が圧倒的に多く、
それでも頭を下げ続けなければ、練習も遠征も続けられない。
セクション2:海外遠征という名の「現実」
冬季競技のトップレベルは、ほぼ海外にある。
- ヨーロッパ
- 北米
- 標高の高い地域
そこへ行くには、
- 航空券
- 滞在費
- 用具輸送費
- コーチ帯同費
1回の遠征で数十万〜百万円単位の出費が当たり前だ。
それを、年に何度も繰り返す。
夢を追うという言葉は美しい
だが、その裏で請求書は現実として積み重なる
セクション3:結果が出ない時間のほうが圧倒的に長い
オリンピックの舞台に立てる選手は、ほんの一握りだ。
しかも、そこに至るまでの大半の時間は、
- 勝てない
- 注目されない
- 評価されない
そんな時期が続く。
それでも彼らは、
- 朝早く起き
- 体を酷使し
- 怪我と向き合い
- 不安を抱えながら
「いつか」のために、今日を積み重ねる。
セクション4:それでも立ち続ける理由
では、なぜ彼らはやめないのか。
それは、
- 誰かに勝つためだけではない
- メダルのためだけでもない
「自分が積み上げてきた人生を、否定したくないから」
そんな想いが、画面越しにも伝わってきた。
ミラノ・コルティナの舞台に立つ選手たちは、
すでに人生というレースを何度も走り抜いてきた人たちなのだ。
セクション5:一瞬の演技に詰まった、何年分もの時間
競技時間は、数十秒、数分。
しかし、その一瞬の中には、
- 幼い頃の決断
- 家族の支え
- 金銭的な不安
- 孤独なトレーニング
- 何度も折れそうになった心
すべてが凝縮されている。
だからこそ、
転倒しても、失敗しても、涙を流す姿さえも、美しい。
おわりに:私たちは「結果」だけを見すぎていないか
メダルを取ったか、取れなかったか。
順位は何位だったか。
それだけで、選手を評価してしまうのは、あまりにも浅い。
そこに立っている時点で、すでに奇跡なのだ。
ミラノ・コルティナオリンピックを見て感じたのは、
競技の凄さ以上に、人間の強さだった。
