
「現場が勝つ時代」に取り残された気がした|脊柱管狭窄症とAI時代の不安
最近、NHKの特集でこんな内容を見た。
「ホワイトカラーの仕事はAIに代替される」
「これからは現場業務の価値が高まる」
「実際に現場系の賃金が上がっている」
……なるほどなぁ、と思った。
確かに最近は、
- 建設業
- 物流
- 設備保守
- 電気工事
- 工場系
- 介護
みたいな“現場仕事”の給与が上がっているというニュースをよく見る。
人手不足も深刻だし、AIでは代替しづらい。
実際、パソコンの前でやる仕事より、現場で体を動かす仕事のほうが「最後まで残る」と言われるのも分かる。
でも、その特集を見ながら、自分は正直かなり複雑な気持ちになった。
なぜか。
脊柱管狭窄症で、もう体が思うように動かないからだ。
「現場が強い」と言われるほど、取り残された気持ちになる
若い頃なら、たぶん違った。
多少キツくても、現場仕事へ方向転換する選択肢もあったかもしれない。
でも今は違う。
長時間立つのもしんどい。
歩き続けるのもきつい。
腰と足の痛みが突然来る。
神経痛みたいな違和感が出る日もある。
「無理をすると悪化する」
これが本当に厄介。
だからニュースで、
「現場系は強い」
「AI時代でも安泰」
「賃金上昇」
みたいな話を聞くと、
「いや、自分にはその土俵にすら立てないんだが……」
と、ちょっと取り残された気分になる。
正直、“トホホ”である。
AIに仕事を奪われるホワイトカラー、本当に全部ダメなのか?
ただ、少し冷静に考えると、話はそんな単純でもない気がしている。
AIが得意なのは、
- 定型作業
- 要約
- 議事録
- 資料整理
- メール作成
- 情報検索
- マニュアル化された仕事
だ。
つまり「再現しやすい仕事」は、かなり危ない。
これは確かにそうだと思う。
でも逆に言えば、
- 経験
- 感情
- 当事者性
- 人間関係
- 実体験
- 共感
- 工夫
- 発信
みたいなものは、まだ人間側に残っている。
そして、病気や身体制限を経験した人って、実はそこに強みが出ることがある。
「普通に動けること」は、実はかなり贅沢だった
脊柱管狭窄症になってから思う。
健康って、失って初めて価値が分かる。
昔は当たり前だった。
- 長時間歩ける
- 階段を気にしない
- 荷物を持てる
- 好きな場所へ行ける
- 疲れても寝れば回復する
そんな日常。
でも今は、
「今日はどこまで歩けるかな」
を考えながら動く。
これ、経験した人じゃないと分からない感覚だと思う。
だから最近は、「体が動く人が勝ち」という単純な話ではない気もしている。
現場仕事が強いのは確か。
でも、その現場で身体を壊して辞める人も本当に多い。
腰、膝、肩、神経。
身体資本は強いけど、減るときは急激に減る。
AI時代は、「身体能力だけ」の時代でもない
最近、少し希望を感じるのは、AIが“身体を補助する側”にも回っていること。
例えば、
- 音声入力
- AI文章生成
- AI画像制作
- AIによる資料整理
- AIによる情報検索
- 在宅ワーク支援
これらは、体力が落ちても使える。
むしろ「身体が弱い人ほど恩恵を受ける技術」でもある。
昔だったら、
体が動かない
↓
働けない
だった。
でも今は、
体の負担を減らしながら働く
という選択肢が少しずつ増えている。
これは結構大きい変化だと思う。
「動けない側」だから見える世界もある
最近思う。
世の中って、「元気に働ける人」を基準に作られている。
でも実際には、
- 病気
- 加齢
- 慢性痛
- 介護
- メンタル不調
を抱えている人はめちゃくちゃ多い。
日本はこれから高齢化がさらに進む。
つまり、
「身体が万全じゃない人がどう生きるか」
は、かなり重要テーマになる。
だから、自分みたいに脊柱管狭窄症で苦労している経験も、無駄ではないのかもしれない。
少なくとも、
- 同じ症状の人
- 将来不安な人
- 働き方に悩む人
には、リアルな言葉として届く気がする。
最後に
NHKの特集を見て、正直ちょっと落ち込んだ。
「現場が強い時代」
「ホワイトカラー危機」
たしかにその流れはある。
でも、
“現場へ行けない人間は終わり”
という話ではない。
AI時代って、実は、
- 身体が弱い人
- 在宅中心の人
- 病気を抱える人
にも、新しい可能性を作っている。
もちろん、綺麗事だけじゃない。
痛い日は普通にしんどい。
将来不安もある。
でも、「動けなくなったからこそ見える景色」もある。
最近は、そんなことを考えている。
