UnsplashのFusion Medical Animationが撮影した写真
実はコロナが密かにまた流行っています。私にはトラウマがあります。母をコロナで亡くしました。私が心臓マッサージを止めた時間が母の亡くなった時間になってしまいました。
私の地元は、比較的コロナ感染は広がっていなかったが、ある時期に中予で一気に広がり始めた。母は東予の兄の家に身を寄せていた。
私は当時リモートワーク中だったこともあり、通勤時間が無く、割と時間的な余裕があり、母と毎日電話をしていたので、母の微熱と体調の悪化を気にとめていた。
県の窓口に確認をし、コロナ病院の場所を確認した。
「微熱が気になるから、病院行きなよ。」
「分かった。」
「一人で行くなよ。兄貴に連れて行ってもらえよ。」
兄は年度末で忙しかったこともあり、「一人で行け。」と言い、母はその病院に一人で行ったが、見てもらえなかった。
翌日、熱が下がらなかったので、
「もう救急車呼びな。兄に電話変わって。救急車呼んでもらうから。」
兄は電話を代わることを拒否した。
次の手として、アマゾンの配送が早いから、パルスオキシオメーターを購入注文し、兄の家に送り付けた。
翌日配送の大阪とは違い、配送センターの無い東予には2日かかった。
同時に、このままではいけないと思い、私が車で帰ることにした。大阪から兄の家には、車で約5時間かかる。
家を出ようとした矢先、病院から電話があり、「母、危篤」という情報だった。
パルスオキシオメーターが先に到着し、測定すると約60%程度で、兄も漸く事態の深刻さに気付いた。自分も医師なのに。気付くの遅そすぎ。総合病院でレントゲンを撮ると、重篤なコロナ患者のように、肺炎が広がっていた。
私は面会を希望したが、当時コロナが流行っていた大阪から帰ってきているということもあり、なかなか認められなかった。私は、リモートワークで外に出ていない事や、車で帰ってきて、どこにもよっていないことを説明し、漸く、夕方に県の許可が下りた。
母と面会するにあたって、注意事項が伝えられた。「コロナ病室に入るまで、一言もしゃべらない事。何も触らない事。」勿論、了解した。
面会すると、母は割と元気そうに見えた。
「何で、大阪からわざわざ帰ってくるのよ。じゃあ、携帯電話持ってきて。」
病院に最も近いホテルを予約したので、そこに泊まった。
夜になり、疲れて、うとうとしていると、携帯電話が鳴った。兄からだった。
「容態急変。直ぐ病院に行け。俺も行く。」
私が病院に到着すると、総合病院の院長先生が母の心臓マッサージをしていた。何十分も心臓マッサージをしていたらしく、私が到着すると、
「心臓マッサージ、変わってくれ。」
私は、心臓マッサージを代わり、ずっと心臓マッサージをし続けた。
何十分、心臓マッサージをしたのだろう。だんだん、母がもう亡くなっていることを理解し、母がかわいそうに思えてきて、
「お母さん、ありがとう」と伝えて、心臓マッサージを諦めた。
院長先生は、医師である兄と、私を間違えていたようだ。そりゃそうだ。兄に電話をしたのだから。
私が心臓マッサージを止めた時間が、母の亡くなった時間となった。
心臓マッサージを止めると、一気に母の体温が失われていくのが、握りしめた手でよく分かった。
かくして、コロナは私にとってトラウマとなった。
私にとって、辛い記憶となった。
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