
売上ゼロの一人社長が個人ブログを本にして気づいた大切なこと
ブログを書き続けてきた先に
最近、今まで書き溜めてきたブログ記事をまとめて、一冊の本という形にしてみた。
長年にわたって書いてきた記事である。日々の出来事、仕事のこと、AIのこと、地域のこと、感じたこと、考えたこと。その時々で思いつくままに書いてきたものを整理し、一冊にまとめた。
完成した本を眺めながら、ふと考えた。
「これでしばらく生活できないだろうか」
もちろん、そんなに甘くないことは自分でも分かっている。
それでも、人は何かを作り上げると少し夢を見てしまうものだ。
本が完成した時の達成感
本にまとめる作業は思った以上に大変だった。
ブログはその時々の思いつきで書いているため、テーマも時系列もバラバラである。
それを読み返し、
- 残す記事
- 修正する記事
- 削除する記事
を選別していく。
昔の記事を読むと、
「こんなことを考えていたのか」
と思うこともあれば、
「今ならもっと上手く書けるな」
と思うこともある。
それでも、その時の自分が確かに存在していた証拠でもある。
記事を並べ直し、一冊の形になった時は、不思議な達成感があった。
単なる記事の集合ではなく、自分の歩んできた時間が形になったような気がした。
印税生活への淡い期待
本が完成すると、誰でも少しは考える。
「売れたらどうなるだろう」
「印税が入ったらどうなるだろう」
「もしかして生活できるのではないか」
しかし現実は厳しい。
本は出版しただけでは売れない。
有名人でもない。
ベストセラー作家でもない。
テレビに出ているわけでもない。
個人が出版した本が突然何千冊も売れる可能性は高くない。
おそらく大半の人は数十冊から数百冊程度だろう。
私の本も例外ではないと思う。
だからこそ、
「無理だろうな」
という結論に落ち着く。
それでも本にした意味はある
ただ、売上だけで考えると見落としてしまうことがある。
本にすることによって、
- ブログが資産になる
- 記録として残る
- 人に紹介しやすくなる
- 自分の考えを整理できる
という価値が生まれる。
ブログ記事はインターネットの海に埋もれてしまう。
しかし本は違う。
一冊の作品として存在し続ける。
これは思っている以上に大きい。
AI時代だからこそ価値があるもの
最近はAIが文章を書く時代になった。
情報だけなら、検索すればすぐに見つかる。
AIに質問すれば、それらしい答えも返ってくる。
では人間が書く意味はなくなるのか。
私はそうは思わない。
なぜなら、
経験は生成できないからだ。
失敗した経験。
悩んだ経験。
成功した経験。
遠回りした経験。
そうしたものは本人しか持っていない。
私のブログも、特別な知識ではなく、日々の経験や気づきを書いてきた。
それはAIには作れない。
だからこそ、本として残す意味があるのだと思う。
ブログを書き続けてきて良かった
振り返れば、ブログを始めた頃は誰にも読まれなかった。
アクセス数も少ない。
コメントもほとんどない。
それでも続けてきた。
毎日ではないが、思いついた時に書く。
気になったことを書く。
忘れたくないことを書く。
そんな積み重ねが、気づけば膨大な記事数になっていた。
継続というのは不思議なものである。
毎日は小さな一歩でも、何年も続けば大きな財産になる。
今回の本は、その積み重ねの結果だ。
本はゴールではなく通過点
本が完成したことで一つの区切りはついた。
しかし、これで終わりではない。
むしろ始まりかもしれない。
新しい記事を書く。
また経験を積む。
またまとめる。
そうやって第二巻、第三巻へとつながっていく可能性もある。
人生そのものが続いている限り、書く題材はなくならない。
しばらく生活できるか?
最初の問いに戻る。
「この本でしばらく生活できるか」
答えはおそらく、
難しい。
しかし、
「自分の人生の記録を一冊の本にできた」
という価値は、お金では測れない。
本は売れるかもしれないし、売れないかもしれない。
けれど、書いた時間は無駄にならない。
ブログを書き続けた日々も無駄にならない。
本棚に並んだ一冊を見るたびに、
「ああ、自分はここまで歩いてきたんだな」
と思える。
それだけでも、本にした意味は十分にあったような気がしている。
まとめ
今までのブログを一冊の本にまとめてみた。
正直なところ、これだけで生活できるとは思っていない。
それでも、自分の経験や考えを形として残せたことは大きな財産である。
人生は積み重ねだ。
ブログも積み重ねだ。
そして本もまた、その積み重ねの結果として生まれた。
これから先、この本がどれだけ売れるかは分からない。
だが一つだけ確かなことがある。
書き続けてきて、本当に良かった。
