
大学事務に内定目前、でも兼業問題で止まった
正直、かなり複雑な気持ちになっている。
ここ最近、大学事務への転職活動を進めていて、
書類選考を通過し、Word・PowerPoint試験も通り、面接も合格した。
久しぶりに、
「ようやく次に進めるかもしれない」
と思えた瞬間だった。
大学職員という仕事は、以前から興味があった。
民間企業とは違う独特の空気感があり、学生を支える側に回る仕事でもある。
派手さはないけれど、安定感があり、社会的意義もある。
年齢を重ねていく中で、「こういう働き方もいいかもしれない」と感じていた。
だから、合格連絡をもらった時は本当に嬉しかった。
ところが、その後、人事から連絡が来た。
「少し確認事項があります」
嫌な予感がした。
そして話を聞くと、問題になったのは、今持っている“一人会社”だった。
兼業禁止という壁
大学側としては、兼業禁止規定との関係を慎重に確認したいとのことだった。
自分としては、会社を大きく動かしているわけでもない。
実態としてはほぼ停止状態に近い。
でも、「法人代表者」であるという事実だけで、組織としては簡単にOKを出せないのだろう。
特に大学は、一般企業以上に規定や前例を重視する。
たぶん人事担当者も困っている。
現場は採用したい。
試験も通過している。
面接評価も悪くない。
でも、規定に触れる可能性がある。
だから簡単に進められない。
そんな空気が、電話越しでも伝わってきた。
なくなく会社を閉じる決断
結局、自分は会社を廃止する方向で伝えた。
ただ、この決断は軽くなかった。
一人会社って、外から見るほど単純なものじゃない。
利益が出ているとか、出ていないとか、そういう話だけでもない。
自分で作ったものだから。
何もないところから登記して、口座を作って、事業を考えて、動いてきた。
うまくいったこともあれば、全然ダメだったこともある。
でも、自分で始めたものには変わりない。
だから、会社を閉じるというのは、単なる事務作業ではなくて、
どこか人生の一区切りみたいな感覚がある。
でも、解散してもすぐ終わらない
ここがややこしい。
会社って、「はい、今日で終了です」とはならない。
解散登記をしても、その後に清算期間がある。
つまり、法人自体はしばらく残る。
自分も正直、このあたりを深く理解していなかった。
だから今、人事側が、
「清算期間中はどう扱うのか」
を確認している状態らしい。
これが大学らしいというか、すごく慎重だなと思う。
でも、逆に言えば、それだけちゃんと確認しているということでもある。
適当に「大丈夫です」で済ませない。
それは組織としては正しいのだろう。
人事も板挟みなんだと思う
今回の件で感じたのは、人事担当者も大変だということ。
たぶん本音では、
「もう採用でいいじゃないか」
と思っている部分もあるかもしれない。
でも、学校法人は特に“前例”を気にする。
一度例外を認めると、後から説明が必要になる。
だから慎重になる。
自分も社会人経験が長いから、なんとなくわかる。
現場感覚だけでは動けない立場がある。
しかも、最近は副業問題もかなりセンシティブだ。
一般企業でも揉めるのに、大学はさらに保守的な部分がある。
だから、担当者も今かなり確認を回しているのだと思う。
正直、不安はある
もちろん不安はある。
このままダメになる可能性だってゼロではない。
せっかくここまで進んだのに、最後で止まるのは精神的にきつい。
「だったら最初に言ってくれよ」
と思わなくもない。
でも、多分、人事も途中で気づいたのだろう。
あるいは、上に確認を上げた段階で止まったのかもしれない。
組織ってそういうことがある。
個人の判断だけでは進まない。
ただ、隠していなかったのは良かった
今回、自分で唯一良かったと思うのは、隠していなかったこと。
もし黙ったまま入職して、後から問題になっていたら、もっと面倒だったと思う。
だから、今止まっているのは、ある意味ではまだ健全なのかもしれない。
ちゃんと確認しながら進めている段階とも言える。
人生って本当に予定通りいかない
ここ最近、改めて思う。
人生って、本当に予定通りいかない。
試験に受かれば終わりではない。
面接に通れば安心でもない。
最後の最後で、こういう“制度”の問題が出てくる。
特に、起業経験がある人や、副業している人は、普通の転職とは違う難しさがあるのだと思う。
でも逆に言えば、そういう経験をしてきたからこそ、見える景色もある。
会社を作ったことも、動かしたことも、全部無駄ではない。
たとえ今、その会社を閉じることになったとしても。
今は待つしかない
結局、今できるのは待つことだけだ。
人事からの確認結果を待つ。
焦っても仕方ない。
むしろ今は、変に感情的にならず、誠実に対応するしかないと思っている。
採用試験そのものは通過している。
評価自体が否定されたわけではない。
今止まっているのは、“能力”ではなく、“制度上の確認”。
そう思うようにしている。
